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【ホテルニュージャパン社長 横井英樹】経歴や火災での問題発言とは?

 

ホテルニュージャパン横井社長の経歴や火災の時の問題発言とは?

 

30年以上も前に起きたホテルニュージャパン火災。

そのホテルニュージャパンの社長であった横井英樹とはどういう人物だったのか?

そして、日本中から非難を浴びることとなった問題発言やホテルの杜撰な危機管理体制とは?

 

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ホテルニュージャパン社長「横井英樹」の経歴

略歴

本名 横井千一
誕生日 1913年(大正2年)7月1日
死没 1998年(平成10年)11月30日(85歳)
出身地 愛知県中島群平和村(現・稲沢市)
出身校 高等小学校

 

 

幼少期

横井英樹は、1913年(大正2年)7月1日、愛知県中島群平和村(現・稲沢市)の貧しい農家に次男として生まれます。

当時の名前は「横井千一」。

祖母が「千両箱」や「千人力」という言葉が好きで「千一」と名付けられました。

小学校時代は字がうまく成績も優秀だったがガキ大将として乱暴者の側面もあったようです。

 

当時は、父親が酒を飲んでばかりで働かず母親の機織り(はたおり)で何とか家計を維持していたようです。

この母親の姿を見て千一少年も小学校から働き始めます。

近所の人に畑の一部を貸してもらった千一少年は、育てた野菜を売って商売をしていました。

 

その後、15歳になった千一少年は上京することとなります。

 

 

上京後

状況を機に、あまり好きではなかった「千一」という名前から「英樹」へと改名。

上京後しばらくは東京日本橋の「渡辺商会」という問屋に住み込みで働きましたが、17歳の時に繊維問屋「横井商店」として独立しました。

 

29歳になった時(1942年)、それまでの繊維問屋「横井商店」から、第二次世界大戦で必要となる軍需品製造の「横井産業」へと方向転換することとなります。

この判断が大成功し、軍需省の管理会社となり、3,000人の職員を抱え、全国に工場を持つまでに成長。

人生で最初の大儲けをし、戦争成金となりました。

 

終戦後は土地の高騰を予想し不動産業界へ進出。

持っていた土地が予想通り値上がりし、資産は20億円以上になったとも言われています。

 

 

財を築いた後

一代で莫大な財を築いた横井英樹は、その後は企業買収のために株を買い占めたり、観光・レジャー事業に乗り出したり、引き揚げ船を買い取って東洋郵船を設立したりと精力的に活動。

その精力的すぎる活動のため「乗っ取り屋」と呼ばれ恨みを買うこともあり、銃で狙撃されるということもありました(参照:横井英樹襲撃事件)。

 

そして1979年、ホテルニュージャパンの買収を引き受け、自ら社長に就任することとなります。

その後の1982年2月8日に起きたホテルニュージャパン火災事件で、横井英樹社長の発言内容や施設管理が大きな問題を引き起こすこととなります。

 

まずは問題発言の数々から見ていきましょう。

 

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ホテルニュージャパン火災における横井英樹社長の問題発言の数々

「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」

火事の取材に訪れた報道陣に対して横井英樹社長が拡声器で言った言葉です。

どんな思いがあって発言したのかは全く理解できませんが、少なくとも「お集まりいただきありがとうございます」などと悠長に言っている状況ではないはず。

被害が出ているということに対しての感覚が我々一般人とは違うということなのでしょうか?

 

 

「9・10階のみで火災を止められたのは不幸中の幸いでした」

こちらも先程と同様、報道陣に対して拡声器で言った言葉です。

「9階と10階だけの火災だったのに被害を出してしまった!」

「被害に遭われた方にはお詫びのしようがない!」

というなら分かりますが、いかにも「少ない被害で良かった」という風な言い草は、やはり普通の感覚ではなさそうですね。

 

 

「悪いのは火元となった宿泊客」

火災の後、横井英樹社長が繰り返し言っていたという言葉です。

火災の原因となったのは938号室に宿泊していたイギリス人の寝たばこでした。

 

一貫して「社長の自分は悪くない」「悪いのはイギリス人だ」と発言していたようです。

確かに寝たばこが原因で火事は起きてしまいましたが、火災が深刻化したのは、実はホテルの杜撰な施設管理でした。

そして、それを指示していたのが横井英樹社長だったのです。

 

 

ホテルニュージャパン火災が深刻化したのは横井英樹社長のせいだった?

横井英樹社長のホテルニュージャパン経営方針は、人員整理や経費削減などの徹底した合理化だったそうです。

そのために後回しにされたのが安全対策。

これが火災が必要以上に深刻化してしまった要因の一つでした。

 

 

杜撰な安全管理の数々

  • スプリンクラー設備のなど未設置(スプリンクラーはあったとしても配管がつながっていないよがあった)
  • 消防当局による定期点検を拒否し続けていた
  • 火災報知器・煙感知機の故障を放置
  • 館内緊急放送設備の故障
  • 24時間稼働しなければならない全館加湿設備が横井英樹社長の独断で止められていた(電気代節約を理由に)
  • 屋内消火栓の開閉バルブが開放されていなかった
  • 過剰な人員整理で人手不足だった
  • 人手不足による膨大な労働量や過酷な労働環境のため防火訓練や避難訓練が定期的に行われていなかった
  • 訓練を行っていなかったため、従業員や警備員は消火栓の位置や使い方、非常ベルの鳴らし方を知らなかった
  • そのため119番通報や初動消火、避難誘導が遅れた
  • 従業員控室として空きの客室を利用していたため、フロントから各室へ内線して呼び出さなければならず招集に時間がかかる仕組みだった
  • 客室内の内装が可燃材だったことや燃えた時に可燃性有毒ガスを発生させるシーツやカーテンを使用していた
  • 壁や天井、コンクリートブロックが隙間だらけで完全に埋められておらず火の広がりが速かった
  • 廊下に敷いてあった絨毯が引っ掛かり、閉まらなかった防火扉が多数あった

経費削減を言い訳にした杜撰な管理体制。

有事の際のコトを考えない危機管理力の低さ。

 

たとえ万全の策を講じていたとしても実際に何かが起きた時には足りないコトがあり得るものです。

このように、何の備えもされていない所で何かが起きてしまったら、深刻な事態になるのは当然のことですよね。

 

しかし、こういった施設面・設備面以外にも、この火災が深刻化した要因があったのです。

 

 

ホテルニュージャパン火災は「人災」?

  • 従業員は火事で大騒ぎになったことを横井英樹社長に怒られることを恐れていた
  • そのため、最初に火事の通報をしたのはタクシーの運転手だった
  • 消防隊員が「9階への行き方を教えてくれ」と守衛に言ったら「社長に確認してから」と呑気な回答
  • 横井英樹社長が、秘書にロビーの高級家具を運び出す指示を出していた
  • それに対してある社員が「人命救助が先ではないか」といったら、秘書は「社長命令だ!」と怒鳴った

これが事実だとするならば信じられないですよね。

現場にいた社員の行動も足りないことだらけですが、そうさせてしまった横井英樹社長が全ての元凶だったのでしょう。

サービスもそうですが、有事の際も「人のために」が最優先であるはずなのに、なんだか悲しくなってきますね。

 

 

まとめ

あれから30年以上も経ってしまいましたが、ニュースの映像などを観ると衝撃的な事件だったことが分かります。

しかも、その背景には杜撰な危機管理体制や人命を後回しにするような対応があったということを知った時には愕然としました。

 

被害に遭われた方々は本当にハラワタが煮えくり返る思いだと思います。

この悲劇を教訓に、二度とこのような事件が起こらないことを祈ります。

 

 

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