年越しそば いつ食べるのが正しい?タイミング(時間)はいつ?
由来はいつから?
日本人にとってあまりにも当たり前な存在の「年越しそば」。
でも意外にも「いつ食べるのが正しいの?」「年越しそばの由来っていつから?」などなど知らないことも多いもの。
「これは日本人として知っておかねば!」というワケで調べてみました。
ぜひみんなに教えてあげてドヤ顔してください^^
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年越しそばはいつ食べるのが正しいの?
多くの場合、年越しそばというと夜に食べる場合が多いように思います。
いつ食べるのが正しいのでしょうか?
食べる時間に決まりはあるのでしょうか?
年越しそばを食べる時間帯
じつは年越しそばには「○○時に食べないといけない」というルールはありません。
朝に食べてもイイですし、お昼に食べてもイイのです。
年越しそばは「大晦日であれば何時に食べてもイイ」のです。
でも注意が必要です
年越しそばを食べる時には注意が必要な点があります。
それは、「年を越してから食べるのはダメ」ということ。
年越しそばには「その年の邪気や厄を翌年に持ち越さないで、その年のうちに断ち切る」という意味があるので、年が明けないうちに食べた方が縁起が良いと言うのです。
「大晦日のうちに食べきらないといけない」、もしくは「大晦日のうちに食べ始めていたら年を跨いでも大丈夫」など諸説ありますが、「厄をその年のうちに断ち切る」という意味を考えると年が明けないうちに食べ終わっておいた方が無難かもしれませんね。
年越しそばの由来はいつから?
メジャーな由来は江戸時代の「三十日そば」?
年越しそばの由来を調べると、江戸時代の「三十日そば(みそかそば)」が真っ先に出てきます。
「三十日そば」というのは江戸時代の商人の間で広まっていた「毎月30日にそばを食べる」という習慣です。
また、江戸中期には「江戸患い」とよばれる「脚気(かっけ)」が流行しました。
その脚気の特効薬として食べられたのが蕎麦でした。
このことから変化していて、蕎麦は「邪気や厄を払う食べ物」として縁起のいいものと考えられるようになり、大晦日に食べるようになったようです。
蕎麦は誰でも気軽に食べられるファストフードのようなものだったので、庶民の間にもその習慣が広まっていったのが大晦日の「年越しそば」の由来と考えられています。
その他にも諸説いろいろ
「三十日そば」以外にも年越しそばの由来には諸説あるようです。
■博多の「運そば」説
鎌倉時代、博多の街は疫病が流行りものすごい不景気に見舞われていたそうです。
博多の人々が食べる物にありつけなかった年末に、謝太郎国昭(しゃたろうくにあき)という商人が承天寺に博多の人々を招いて蕎麦を振舞いました。
博多の人々は無事に飢えをしのぐことができたのですが、この後に博多の港に中国(当時は宋)の船が来港。
宋との貿易が活発となり博多は活気を取り戻していったと言います。
このことが、蕎麦のことを「世直しそば」や「運そば」と呼び縁起のいいものとされるきっかけとなりました。
この後、博多では翌年の運を開くために大晦日に蕎麦を食べる習慣が根付いていったと言います。
■室町時代の「関東三長者」説
室町時代の関東三長者の一人である「増淵民部」は、大晦日にそばがきを食べて無病息災を願ったと言います。
増淵民部という人物についての詳細は詳しく分かっていないようですが、「長者」という言葉には「年長者」や「富裕者」という意味があるので、そばを食べることでそれにあやかっていたのかもしれませんね。
この増淵民部がそばを食べていた習慣が前述の「三十日そば」の起源とも考えられているようです。
まとめ
年越しそばについて「いつ食べるのが正しいのか?」「年越しそばの由来はいつからなのか?」についてご紹介してきました。
「大晦日であれば何時に食べてもイイ」というのは、知っておくと迷わなくて済むので安心していつでも食べることができますね。
年越しそばの由来については諸説あるものの、健康や長寿を願ったり、翌年のための縁起かつぎだったり、昔の人々の願いが含まれていたんですね。
現代ほど便利に生きていけなかった時代の人々がどんな思いで年越しそばを食べていたのかを想像しながら年越しそばを食べると、いつもとは違った味わい方ができるかもしれませんね。
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